「世界中の言語が日本語だけだったら、英語なんてやらなくてもいいのに」
テストはいつも赤点
自信なんてまるでなかった
英語が苦手で
落ちこぼれだった僕
このままでいていいのかという
危機感から
英語と正面から向き合う
という決断をして
人生が大きく変わった物語
大嫌いだった英語が僕の強みになって
5ヶ国以上の人たちと友達になれた
子ども達に英語の楽しさを伝えられる先生になれた
人生激変のストーリーです。

はじめまして^^
まさと申します!
僕のことを知らないと思うので
簡単に自己紹介しちゃいます。
ブログを書いている現在は26歳
(ちゃんと人間ですよ。笑)

保育園や幼稚園で子どもたちに
英語を教えています。
日本に住んでいる外国の人とも友達になれて
休みの日にはお酒を飲んだり、 キャンプに行ったりしてます。
こんな僕ですが、
元々は大の英語嫌いでした。
テストはいつも赤点だらけ。
当然、英語に自信なんてまるで持てませんでした。
そんな僕が
なんで英語で人生を逆転できたのか
全てをここでお伝えします!

正直、英語を好きにはなれましたが
好きになるための努力もたくさんしてきました。
当然、苦しい時期もありました。
ほんとうに落ちこぼれで挫折ばかりして
過去の話をするのは
とても恥ずかしいです。
ですが、これからの時代の子どもたちは
英語は避けては通れません。
小学校でもALT(外国の先生)との
授業がすでに始まっていて
僕たち大人が中学校のときにした内容を
小学生でやっていくんです。
例えば、皆さんがよく行くスーパーまでの道案内。
それを英語で発表するんです。
子どもたちには英語で困って欲しくない。
できることなら、世界に羽ばたいて活躍して欲しい。
そう願っています。

英語は早いうちからやらせてあげよう。
そう思っていただけたら本望です。
期待から絶望へ
暗黒の中学1年生・・・
頑張りが通用せず
初めて感じた自分への情けなさ
産声をあげて
かれこれ26年になります。
祖母いわく
”よく転ぶ子”だったそうです。
何もないのによく転ぶので
祖母が笑いながら不思議がっていたの
を覚えています。
父と母は勉強に関してはある程度熱心で
僕が小学校の時から塾に通わせてくれていました。
そのため、”勉強をする”という行為に
抵抗はなく育ちました。

中学生デビューはすごくワクワクしました。
制服と通学かばん。
初めて会う同級生。
たくさんある部活動。
全てが新しくて
「勉強がんばって、友達たくさん作るぞ」
と意気込んでいました。
入学してすぐの授業。
一際難しさが際立った科目がありました。
”英語”です。

・単語のスペルが覚えられない
・英語を聞き取れない
・話せない
こんなことは初めてでした。
悔しくて勉強をひたすらやりました。
迎えた中学最初の英語の中間テスト。
結果は・・・
20点代でした。
周りのクラスメイトは
点数がよかったと歓喜の声。
あんなに勉強したのにどうして・・・
自分の期待に答えられなかった自分が
情けなかったのを覚えています。
このまま終わりたくない・・・
あがきも虚しく結果は全く出ず
落ちこぼれとして見られてる
という劣等感
自分で殻を作って
マイナス思考のネガティブボーイへ
このままじゃだめだ・・・
そう思い、僕なりに行動を変えました。
・分からないところは素直に質問する
・1日少しでもいいから英語に触れる
とにかくこの状況を少しでも変えようとしました。
先生方は本当にお優しくて
授業の準備や部活の顧問でお忙しいのに
快く受け入れてくださいました。

ですが、質問しても僕が完全に
「そういうことか」って理解できなかったんです。
だんだん僕の中で、悪い思い込みが生まれてきました。
「こんな簡単な問題もこいつは分からないのか」
「いつになったら分かるようになるんだよ」
って思われているかもしれない
そんなこと思うような先生方ではないのに
被害妄想してしまいました。
だんだん、変なプライドが出てきて
分かってないのに理解できたような振りを
するようになりました。
そして先生に質問することがなくなりました。
そのままずるずる元の自分へ逆戻り。
周りの人にバカだと思われないために
自分で何とかするしかない
そう思って、自分で学んでいきました。
しかし、独学には限界があります。
分からないものは分からないまま
なぜこの答えになるのか理解できない
でも、誰かに教わると馬鹿だと思われる
完全に負のループに囚われていました。

そして迎えた期末テスト。
今度こそは・・・。
結果は
また20点代でした。
答案用紙が帰ってきて
この点数を見た瞬間
あ、もういいや・・・。
そう思いました。
一生懸命勉強しても無駄。
どうせ将来英語なんか話すこともないし。
できなくても困ることなんてないでしょ。

今思えば
完全に自暴自棄でしたね。
それ以降、英語はがんばらなくなりました。
当然、授業にもついていけなくなり
成績もだんだんと悪化していきました。
自信も完全になくなってしまって
自己肯定感もだだ下がり。
みんな僕のことを頭悪いヤツだと思ってる・・・
勝手に自分を追い詰めていました。
周りのクラスメイトと関わることも
苦手になってしまいました・・・。

成績は学年で最下位
クラスでは友達はいない
思い描いていた理想の中学校ライフ
とは程遠い生活でした。
何も楽しくなかったです。
「世界中の言語が日本語だけなら、英語なんてやらなくていいのに」
とこの時期の僕はよく言っていました。
母から勧められたECCへ
そこで人生を変える出会いが待っていた
人生の扉が開く音がした
楽しくない学校生活が
始まってから半年後。
母がさすがに不安になって
ある提案をしてくれました。
「近所にあるECCに行ってみる?」

断ってもよかったと思うのですが
母の心配を無下にするのもなぁ・・・
という気持ちがありましたし
心のどこかで
このままは嫌だ・・・
そう思っていました。
完全に自信がなくて
いつも下を向いて歩いている
こんな自分を変えたかったんです。
そして中1の冬にECCへ入りました。
それが、僕の人生で最高の選択でした。
そこのECCには先生(K先生とします)と
以前からいた生徒が数人いました。

ただこの時期の僕は自己嫌悪がMAXで
みんな僕のこと頭悪いって思ってるんだ・・・
仲良くできるわけがない・・・
そう思って目を合わせられなかったです。
そんな僕の心配をよそに
K先生も前からいた生徒も
すごく初日から優しく接してくれました。
「みんな良い人ばっかり!」
居心地の良さを感じていました。
ただ、教室から帰る時に
「はい、これが宿題ね」
とK先生から見たこともない量の宿題
を出されました。

本当に嫌でした。
それが顔に出てたのか
K先生からは
「0から始めるんだからこれくらい当然」
と言われました。
すると、他の生徒から
「問題の解答欄に空白が1つでもあると
先生にヌンチャクでしばかれるよ」
とコソッと耳打ちしてきました。

冷静に考えたらありえないですが
当時の僕はこの言葉をなぜか信じたんです。笑
ヌンチャクで叩かれたくない・・・!
分からないところは紙の辞書やテキストで
調べながら必死にやりました。
膨大な宿題をなんとかやりきりましたが、
答えは間違えだらけ。
2回目の授業後の宿題は
間違えたところの復習+新しく出た膨大な量
とんでもないところに来てしまった・・・
と後悔したのを覚えています。

あれ、この問題分かるぞ?
初めて感じた高揚感
そして叶った点数UP!
ECCに通い始めて1ヶ月。
膨大な宿題にヘトヘトになっていました。
そんな時に学校の英語の授業で
中1最後の期末テストがありました。
ECCに通っているとはいえ
これまでのできなかった記憶に
押し潰されそうでした。

ですが、テストを見た瞬間
違和感があったんです。
あれ、この問題分かるぞ・・・?
鉛筆が以前よりスラスラと進んだんです!
テストを先生に渡すとき
「これはもしかしたら・・・!」
と期待を初めて持てました。
そして後日。
先生から名前を呼ばれて
テストを取りに良く。
ドキドキしながら
名前の横にある点数記入欄を見ると・・・
40点になっていました。
1ヶ月必死にがんばった。
上がった点数はたったの20点。
半分の点数も取れていない。
平均点よりも遥かに低い。
それでも、泣きそうになるほど嬉しかったんです。

独学でやっていた頃も
確かにがんばってはいましたが
結果は変わりませんでした。
今はK先生と出会えて
目に見える成果が初めて出た。
K先生に報告すると
自分のことのように喜んでくださいました。
元々ECCにいた人達も
一緒になって喜んでくれました。
この教室に来たから
点数を上げられたんだと感じました。

この時に、ヌンチャクは嘘だよ
と教えてくれました。笑
中2に学年が変わった後も
英語の成績は上がり続けました。
その頃には、英語が楽しくて仕方がなかったです。
がんばるほどに、点数が上がっていくんです。
中3になると、学年でも上位の
成績を取れるようになりました。
気付けば自信も付いてきて
友達も増えてきました。
ありがたいことに
英語教えてくれとも
言ってくれる人もいました。
自分の大好きな英語を
誰かに教えて感謝させる。
このことが、どうしようもなく嬉しかったです。
やがて高校を決めなくてはいけない時期になり
母にこう伝えました。
「僕、K先生みたいな英語の先生になりたい」
母は、快く応援してくれました。
高校は英語を専攻で学ぶことができる
ところに進学。
そこで初めての国際交流を経験しました。
・中国
・インドネシア
・オーストラリア
・アメリカ
・イタリア
本当にたくさんの国の人たちと
関わりを持てました。
当然、英語が通じない悔しさも
たくさんしてきました。
「英語下手だね」という
目線を何度も浴びて、辛かったこともあります。
ですが、英語を諦めようと思ったことはありませんでした。
がんばれば英語力は必ず伸びる。
そう信じてやってきました。
そうしていくうちに、外国に友達ができたり
日本にはない価値観や考え方に触れることができました。

高校を卒業して大学進学をするタイミングで
通っていたECCも卒業しました。
K先生に感謝の言葉をお伝えして、
英語をもっと深く学べる大学に進学。
そこでは、英語の教え方を学びながら
日本に留学に来た生徒
と積極的に関わりを持つ生活を送りました。
その全てが
今の僕の土台となっています。
子ども達に英語の楽しさを伝えながら
休みは色んな国の人と時間を共有
全ては英語に出会えたから
夢を叶えながら、世界と交流する生活
K先生は僕の英語の成績を上げてくれました。
でもそれ以上に大切なことを教えてくれました。
それは、英語は人と人を結ぶ架け橋ということです。
橋の画像
僕に自信をくれて
国を問わずたくさんの友達ができたのも
間違いなく英語のおかげです。
今の僕は
・子ども達と毎日英語遊び
・休みの日には色んな国の友達と遊ぶ
遊びの毎日なんです。
この生活ができているのも
英語が繋がりを作ってくれるツールだからなんです。

ですが、
自信を無くしてしまった
人と関わりが持てなくなった
昔の僕がこうなってしまったのも
英語ができなかったからです。
そして子ども達には
僕と同じ苦労をして欲しくありません。
嫌いを好きにするって、
かなりのエネルギーと時間を使います。
最初から英語が好きだったら
それが一番なんです。
ですが、英語って
嫌いになりやすいんです。

たまに小学生とも
話す機会があるのですが
・上手く発音できない
・英語を話すのが難しい
・先生が何を言っているのか分からない
ほとんどの子ども達がこの理由で
英語が苦手だと言っています。
でもそうですよね。
これまで触れてこなかったのに
いきなり英語で会話してと言われてるんです。
大人でもできませんよね。
だからこそ、
小さいうちから英語に触れさせてあげる
ことが大切なんです。
なぜなら、
英語を好きになるのに努力が要らない
からです。

僕は毎日0歳~6歳の子ども達に
英語を教えています。
みんな楽しそうに英語を覚えています。
しかも、発音もすごくキレイ。
子ども達は、楽しいものには
自分から手を伸ばしてくれます。
ただ、「英語は苦手なんだよね」
こういうパパやママがいらっしゃることも知っています。

具体的にどういったことから
始めればいいのか・・・。
何歳からやり始めればいいのか・・・。
分からないが分からない状態ですよね。
僕も元々は英語が大の苦手。
そして、日々英語を教えているのは
英語を全く知らない子ども達。
だからこそ、どうすれば子ども達が
楽しく英語を覚えられるのか
試行錯誤を繰り返しています。

その中で得たノウハウや体験談を、
英語が苦手なパパやママ向けに伝えることができます。
つまり、あなたもお子さんに
英語の楽しさを伝えることができるんです。
家族みんなで英語に楽しみながら触れていく。
もしかしたら、将来は
家族みんなで海外旅行を楽しめちゃうかも。

僕もあなたも
目指しているものは同じです。
子ども達が英語で困らない未来を作る
これからの時代
海外の人たちと関わりを持つことが増えます。

世界はそういう流れになっています。
英語ができないことで
選択肢を減らさないといけない
辛い思いをしなければならない
こんな思いを子ども達には
させたくありませんよね?
これからの未来を担う子ども達は
ダイヤモンドの原石です。
僕とあなたで
ピカピカに輝かせてあげましょう!

それでは
グッドラッグ!!!
P.S.
最後までお付き合いいただき
誠にありがとうございます。
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